できることはあったはず…

11日(水)夕方は、自分の長男を殺害した罪に問われた農林水産省の元事務次官の男の初公判のニュースが新聞や各局のテレビで報道された。この男は、2019年6月、東京・練馬区の自宅で長男を刺し、殺害した罪に問われている。長男は、以前から家庭内暴力をふるっていて、事件数日前にも襲いかかることがあり、殺害するしかないとを考え、妻に『散骨』を依頼する手紙を書いていたことが検察側から明らかにされた。一方、弁護側は「長年にわたり被告は発達障害の長男を支えてきた。殺されると思い、やむを得ず刺してしまった。」と主張した。

検察側は、この男が「これしかほかに方法はない。」と妻に書いた手紙を紹介し、弁護側の、「やむを得ず刺した」との主張に賛同するかの印象を与えているが、このことに対し私は憤りを覚える。本当に殺害するしかなかったのだろうか。長男は44歳の成人男性であり、暴力をふるうようなことがあれば、警察に通報することは当然の行為であり、一定の歯止めにはなった可能性がある。長年にわたり暴力に耐えることも、恐怖や反撃するエネルギーをため込むことも回避できたのではないか。勿論、当事者の深い悲しみや苦しみをすべて知るわけではないが、我が子を殺害するという最悪の事態を何とか避ける方法はあったはずである。

長期間のひきこもりや発達障害等によって社会生活に悩む家族は珍しくはない。インターネットにも情報はあり、メール相談も可能である。実際にどこかの相談所を訪れたり、専門家に頼ることはなかったのか。何もできない、何の方法も思いつかないと言うならば、両親が家を出て距離を置くという選択肢は、考えなかったのだろうか。長男の生きる権利も、何としてでも守られるべきであったと考える。