神奈川の米軍基地を知る

10月13日、神奈川ネットの基地巡りツアーに参加しました。

まず、「相模総合補給廠」。JR相模原駅駅から隣の矢部駅までの線路北側の約200haという広大な面積です。1941年、旧陸軍造兵廠などとして開設、戦後は米軍施設となり、補給基地としてベトナム戦争時は、戦車数百台の修理をおこなったということです。現在も、武器弾薬以外のベースキャンプセットや野戦病院セットなどが備蓄され、まさに戦争の前線と直結している場所です。8月24日に爆発事故が起こりましたが、原因は公表されていません。 

相模総合補給廠

 

                                                                            次に、相模原市内の「米軍住宅地区」の周囲を道路から見ました。周りの日本の住宅地とは対照的な緑に囲まれた広々とした住宅が点在し、まさにフェンスの向こうはアメリカ。

続いて、「キャンプ座間」へ。1937年に陸軍士官学校が設置され、その第1回卒業式に天皇が出席するために住民が突貫工事で道を作ったという「行幸道路」を通って向かいました。現在は、米陸軍第一軍団前方司令部、米陸軍基地管理本部、陸上自衛隊中央即応集団司令部という最重要な司令部が並んでおり、敵から見れば、まずここを攻撃対象にすると予想されるものが軒を連ねているわけです。基地の中に広々と取っているのは、実はゴルフ場で、隣接の日本の保育園の園庭にゴルフボールが落ちることがあり、高いネットが張られていました。(このゴルフ場の利用者は、ほとんどが日本人だそうです。なぜ必要なのか疑問です)

 

キャンプ座間正門

     

いよいよ次は、「厚木基地」。1938年旧日本海軍の航空基地として開設、終戦時にマッカーサーが降りた写真を思い浮かべます。大和市と綾瀬市にまたがり、横須賀の空母艦載機が訓練のために離発着する爆音はすさまじいものです。また、墜落事故や部品落下事故の危険が常にあります。

 

厚木基地の南側 ゆとりの森から

厚木基地正門 車中から撮影

   

                                                                    住宅が密集している中にある米軍基地。沖縄の普天間基地が世界で最も危険と言われたといいますが、厚木基地も同様ではないでしょうか。滑走路の延長線上は、公園やスポーツ広場となっていますが、子ども達が遊ぶ上空に艦載機が訓練のために頭上すれすれに飛ぶというのは、普通には考えられない状況ではないでしょうか。市街地の中の、駅に近接した良い立地場所を占拠し、街を分断しています。戦後70年たった今も、米国との地位協定に縛られている状況を映し出しています。思いやり予算として、日本の税金が米軍のために使われています。そしてさらに、米軍と自衛隊の連携を強化し、米軍に協力するように動き出そうとしています。

私たちは、しっかりと現状を把握して、声を挙げ続けなければならないと感じました。(浜田順子)