3・11から4年  未来を思い描こう

4年前のあの日。あなたは何をしていましたか?

私は、議会予算委員会の最中でした。突然の大きな揺れで、委員会は「暫時休憩」。都市建設常任委員会でしたから、列席していた部長がすぐさま市内の道路等の点検の指示を出していました。その後、停電が続き、混乱。すさまじい大津波の映像に恐怖を覚え、原発事故の映像と「ただちに人体に影響はありません」と繰り返す報道に違和感を感じ・・・。大震災と原発事故は、大自然の巨大さと人の科学技術の無力を見せつけられた思いがしました。誰もが人間のおごりを反省し、意識の変革が必要と感じたと思います。

その後、被災地の復興は、進んでいるのでしょうか。津波で流された街の嵩上工事により、再び街の活気が戻ってくることを望みますが、産業が戻ってくるのか、住民の方々の高齢化を聞き、将来に不安を覚えます。福島の放射能汚染は、長期に及びます。街が消滅し故郷が失われてしまう方々のことを思います。その中で、私に何ができるのかと問い続けています。

収束できない原発事故による放射能被害を無視し、原発の再稼働、新規炉の建設は、決して許せません。原発の保持は、戦時になれば原子力爆弾が保持できるようにするためということも聞きます。それに呼応して、“戦争をできる国”にしようとする急速な動きを感じます。

ひとり一人が、しっかりと情勢を見て、声をあげていきましょう。黙認してはなりません。(浜田順子)